嵐を好きになって4年半が経ちます。短い様で長いこの時間の中では常に、嵐も、私の中の嵐も、嵐を取り巻く環境も、変わらない変わらないと思い込んでいる間に大きな変化を遂げていた様に思います。
熱狂の国立競技場の最中で、嵐を好きになった頃のことを思い出していました。私が嵐を好きになって初めてリリースされたシングルは、彼らのそれまでの4年間の中で初めて初動売り上げが10万枚を割った作品でした。嵐を取り巻く環境が、何もかもパッとしていなかった。そして私はそれら全てを「不当な評価だ」と毎日憤慨していたなあ、と。
とにかく嵐に、嵐を好きでいることに誇りと自信があった。何故世の中がもっと嵐に気がつかないのか不思議でならなかった。その約3年後に「認めざるを得ない良さが嵐にはあると思った」と言ったのは潤くんだけど、私はずっと本気でそう思ってた。嵐に出会う前も出会った後も色々なアイドルを好きになったけど、「私“は”いいと思う」ではなく、「絶対にいい」ものとして好きになったのは嵐だけです。いつか世間は嵐を無視できなくなるし、その時には「私、少しだけ先に気が付いてたぜ!」って目いっぱい周りに自慢してやろうと思っていました。
それでも、彼らが「トップになりたい」という夢を持っていると知った時。それは果てしない夢の様に思えました。とてもとても遠く、そんなところへ続く道があるとは思えなかった。でも、こんなに素晴らしい彼らが、本当にそんな夢を抱いて突き進んでいるならば、それは「トップ」にならなきゃおかしい、駄目だとも思った。だから、少しでもその後押しになるのなら、精一杯の応援をしようと決めました。それでいつか一緒に「トップ」に立つことが出来れば、そんなに幸せなことはない。4年前の私は、心の底からそう思っていました。

時は経って。一歩一歩踏みしめて、着実に登っていたと思ったのに、ふと見渡したら信じられない高さに来ていました。私にはどうしてもその高さまで来た道筋が思い出せなくて、途端にいろいろなことがわからなくなりました。トップって何?売れたから何?必要以上の人気が出たところでいい事なんか何もなかった。今この瞬間もそのモヤモヤが消えた訳ではないし、状況が落ち着くか、慣れるか、諦めるかするまでしばらく消えることはないでしょう。
でもこの1週間で、視界がひとつひらけた気がしました。
先週の24時間TVで久し振りに、4年前「トップになりたい」と聞いた時のことを思い出したのです。あの頃のもどかしさ、決意、願い。今の嵐は、あの時願った場所に、あの時願った以上の場所にいるのではないか。「トップ」がどこかなんてわからないけど、多分とっくにみんなの想定を超えた場所にいるんだからきっと夢は叶ってる。そして改めて、とんでもない勢いで大きくなっていく嵐に、ここ一年は「おめでとう」「よかったね」と思わなくなっていた自分に気がついて、4年前の自分が見たらどう思うんだろう…なんて考えていました。

そして迎えた国立競技場公演。年間一組しか公演を許されないあの大きな会場の、その頂きに彼らは立ちました。夜空に浮かび上がる5人のシルエットを見た瞬間。凝り固まっていたいろんな想いが溶けていくのを感じたのです。そうだ、私はこんなに凄い5人を応援していたんだ。なんて光景だろう。こんなところまで来たんだな。ここまで来る後押しが、ほんの少しでも出来たのかな。だったらいいな。ここまで来なきゃ見られない光景なんだよな。いやここまで来ても、こんな魂を揺さぶる様な景色を見せてくれるのは嵐だけだよ。今、嵐の認めざるを得ない良さが、認められまくってるんだ。そらそうだよね。だって嵐だし。嬉しいな。良かった。幸せだ。おめでとう!
自分で勝手に蓋をしていた感情が溢れてきたんです。ずっとネガティブな面ばっかり見てしまって一人で辛くなっていた私だけど、今は目隠しが外れたみたいに、シンプルに幸せです。嵐を好きになったことが、今も嵐を好きなことが、こんなにも誇らしくて幸せ!
これまで以上の高みを目指すつもりの嵐について行くに当たって、面倒くさいこと辛いことネガティブな面いっぱいあるんだろうと思う。これまでブチ当たってきたモヤモヤだって晴れた訳じゃない。だけど、だからこそ。聖火台の5人のシルエット・7万人を幸せで包んだ嵐のこと・あのコンサートの楽しさを。「トップ」に立った彼らも変わらず当たり前に認めざるを得ない良さを持っている証拠として、大切に、忘れないようにしようと思います。
だからもう行くところまで行っちゃえばいいじゃない。仕方ないよ、認めざるを得ない良さが嵐にはあるんだから。とことんトップに行っちゃえ!文句は言ってもついていきますよーつって。
ああー、嵐ヲタに生まれて良かった!!